レモンイエローの命
オレンジじゃない。
レモンイエロー。
卵黄の色のはなし。食べているものが違うからそうなる。
うきは市の山奥にある農場で、その卵に出会った。スクランブルエッグを作ると、まるで卵白だけで作ったかのようなのができる。塩を振っただけの卵かけご飯を食べると、卵特有の生臭さはほとんど感じられず、思わずお代わりしたくなるような優しい味がする。この卵黄の色を見て初めて、「黄身」という言葉の意味に合点がいった。
その卵を産む鶏たちが普段食べているもの。大麦や米ぬかを糀と混ぜて発酵させたボカシ、それに、畑に育つ野菜や雑草など。つまり、たっぷりの発酵食品と食物繊維で鷄たちの腸内環境を育む。トウモロコシ飼料で肥育する慣行飼育とは全く異なもの。だから、黄身がレモンイエローを呈する。
驚くべきは、鶏舎に入っても、あの独特の臭さを感じないことだ。母乳ばかり飲んでいる人間の赤ちゃんの排泄が、私たちの排泄のように嫌な臭いを発しないのを思い出し、再び納得をする。
1畳に5羽の密度で平飼いされている鶏たちは、鶏舎内を自由に走り回り、地表に排泄物を落としている。その落し物は、農場の主人によって時折掻き集められ、鶏舎の傍の畑に投げ入れられる。たっぷりと注がれたその鶏糞のおかげで、私たちの肉眼では見ることができない土中の微小な生命体が、天文学的数字にまで膨れ上がり、雨が降ろうともほとんどぬかるむことのない、空隙たっぷりの膨よかな土壌が育まれる。
そのフカフカのベッドで育てられる野菜の種まきを、私たちはほんの少し、手伝わせてもらった。この農場では、こうして育つ野菜たちが、再び、鶏たちの体の一部となり、彼らの健全な体づくりを支えている。
昼休みの食卓。目の前に並んだ卵かけご飯も、鶏肉の塩糀炒めも、野菜炒めも、炒り卵も、全部、こうした命の循環からの恵みだ。そういう命のつながりから切り離されがちな日常を送る私たちは、この恵みに敬意を払いながら、命の輪の中にちょっとだけお邪魔させてもらった。食卓に並べられた料理の品々から放たれる、どこかホッとする雰囲気に心身ともに癒されながら。
You are what you ate.
命は食べたものでできているのである。